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聖徳太子とは? 冠位十二階と憲法十七条とは?

今回は聖徳太子について、日本の歴史を紹介します。


推古天皇は位に就いた次の年に甥の聖徳太子を皇太子にたてました。
また摂政として政治を行わせるようにしました。

摂政というのは中国で始まった制度で
天皇の代わりに政治を行う役です。

天皇がいるのに何故わざわざ
摂政などという役をつくったのでしょう。

これは天皇が直接政治を行うと
勢いの強い蘇我氏と衝突しそうになるからです。

そうなっては天皇の位が危なくなります。

そこで天皇は直接政治を行わずに皇太子が
政治の責任を負うようにしたのだと考えられています。

聖徳太子は優れた人で生きている内から
太子についての伝説のような話が生まれたくらいです。

太子が摂政になった頃は蘇我氏の勢いが
盛んになときでしたから、うっかりしていると
皇室でも安心していられないという有様でした。

太子はこのような皇室の衰えを見て天皇を
中心とする皇室の勢いをしっかりと固めようと決心したのです。

これまでの大和朝廷の大王を天皇と
書き表すようになったのも太子の時代からでした。

皇室の勢いを固めるためには
まず、太子の手足のように真面目に尽くしてくれる
役人が必要となります。

そこで、太子はそういう役人をつくりだすために
冠位十二階という制度を決めました。

603年のことです。

冠位十二階制度というのは12の冠によって
位をわける制度のことです。

12の位とは、
大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智のことです。

この冠にはそれぞれ色がついていて、
それを被っているとその人がどの位なのか
すぐわかるようになっています。

これを授けて豪族を新しい役人に仕立てようと考えたわけです。

また、家柄を表す姓(かばね)が動かせないのに比べて
この制度では努力や手柄次第で位が上がれることになっていました。

つまり、優れた人なら姓が低くても
どんどん出世できるようにしたのです。

冠を授けられた人はもっと高い位に昇るために
一生懸命働くことになるので太子の狙いは成功したわけです。

こうして太子には忠実な役人を次第に増やしていきました。
これは突き詰めて言えば天皇に忠実な役人が
増えていくことになります。


けれども蘇我氏のような強大な豪族が
冠位をもらったかどうかは怪しいものです。

強い豪族は冠位をもらって天皇の
役人になることを臨まなかったに違いありません。

全ての豪族に冠を授けて天皇の勢いに
従わせるということは、その頃ではまだ難しかったようです。

太子はまた、皇室の勢いを強めるために604年、憲法十七条をつくりました。
これは太子が豪族たちに皇室の尊いことなどを教え聞かせたものです。

例えば天皇の命令を受けたら必ずかしこまって聞くようにとか、
国に2人の主人はいない、土地や人民はみな
天皇のものだから勝手に税をとってはいけないなどと書いてあります。

また、役人はよく働くようにとか、
人々を使うときはその人たちのことを考えて
気をつけるようになどとも書いてあります。

仏教の教えも言っていて、
仏・法・僧の三宝を大切にしなさいなどとも書いてあります。

憲法十七条は憲法とは言っても今日の憲法とは違います。

何かの決まりをつくるというよりは
教えを聴かせるという気持ちが強いのです。

しかし、古い時代の法律には多かれ少なかれ
教え聴かせるという気持ちが入っているものです。

だから、憲法十七条も法律の一種と考えてもよいでしょう。

どちらにしても憲法十七条は豪族たちの
わがままを抑えるのに役にはたったようです。

もちろんこれは聖徳太子が優れた人だったせいもあります。

なお、憲法の文章は儒教などの中国の本や
仏教のお経から色々な言葉を借りてきて
上手に組み合わせてあります。

これを見ると太子が実にたくさんの本を
よく読んで頭にいれていたことがわかります。

また、大陸の文化が大量に日本に
流れこんでいたこともわかります。

このように大陸文化が流れ込んできたからこそ
飛鳥文化も生まれることができたのでしょう。

聖徳太子は架空の人物であるという説があります。

聖徳太子はイエス・キリストのことではないのかという説があります。
馬小屋で生まれたりしたなど類似のエピソードがあるみたいです。

聖徳太子だと言われている肖像画も本人ではないようです。
服装が当時のものとは違うてんやヒゲのあるなしで疑わしいところがあります。

あの肖像画の正体は坂本龍馬のことだという説もあります。

聖徳太子は今で言うとある意味、宮本武蔵のようなニュアンスに近いかなと思います。
バガボンドを読めば宮本武蔵が美化されていて共感や憧れ、尊敬などを覚えるでしょう。

同様に聖徳太子も後の時代に起こった「太子信仰」の中で作られた創作の逸話により美化されているのかもしれませんね。



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