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天平文化とは? 正倉院に眠る世界の宝

今回は天平文化について、日本の歴史を紹介します。


奈良時代で、文化が最も栄えたのは聖武天野の頃です。
そのため文化の上では、当時の年号をとって
奈良時代を天平時代で代表させ、天平文化と呼んでいます。

奈良時代には、唐との交通が盛んに行われたので、
文化は唐の文化の強い影響をうけました。

その上、天皇は政治と仏教を深く結びつけ、
仏教を熱心に保護したので、
文化の上にも仏教の影響が強くあらわれました。

つまり、天平文化は、唐の文化を取り入れた大陸風のにおいの強い
しかも、仏教の色の濃いものといえます。

天平美術の代表的なものとして、
唐招提寺・東大寺法華堂・正倉院などの建物、
法華堂の不空羂索観音像・天像・四天王像・仁王像・日光菩薩像・月光菩薩像や、
唐招提寺の慮舎那仏などの仏像、
正倉院の鳥毛立女屏風、薬師寺の吉祥天画像、
シャカの一生を物語る過去現在因果経などの絵画が挙げられます。

天平文化は、朝廷・貴族・寺島を中心として栄えました。
それは、仏教そのものが一般の人々のためというより、
天皇や貴族たちの間に、熱心に迎えられたからです。


奈良時代には仏教が非常に重んじられて
多くの大寺院が建てられたため、
たくさんの秀れた仏像がつくられました。

天平の仏像は、飛鳥時代のものに比べ、
豊かな人間らしい美しさをもっています。

そしてその表情にも、まるで私たちに話しかけるような、
温かさが感じられます。

また、この時代の彫刻には、木や金・銅でつくられたもののほか、
粘土や麻の布を漆で固めてつくったものがあり、人々の工夫が忍ばれます。


正倉院には、聖武天皇が使った日用品を中心に、
いろいろな工芸品などが、御物としてたくさんおさめてあり、
その数は634点にもなります。

また御物のほかに、当時の貴族が儀式に用いた着物や、
伎楽面・地図・文書などがあり、点数は一万以上にもなります。

正倉院は、校倉づくりという特別の建て方でつくられました。
湿度によって木材が伸び縮みするので、湿り気が中に入ることを防げます。

また、床が非常に高いという特色もあって、
長い間もとのままの姿で、多くの品物を伝えることができたのです。

正倉院の御物には、尺八・琵琶・そうなどの楽器類、
刀剣・弓矢・甲冑などり武具のほか、
おび・しゃく・けさ・碁盤・鍵・屏風・カットグラスなどがあります。

そして、これらの品物を調べると、
中国・インド・ペルシア(イラン)・アラビア・ギリシア・エジプトなど、
その頃までに栄えた国々の文化と結びついていることがわかります。

しかも、それらの国々では、時代が移るにつれ、
壊れたり、無くなったりして、正倉院にだけしか残っていないものもあります。

正倉院の品物は、日本の宝というだけでなく、広く世界の宝ともいえます。

例えば、くごという楽器が正倉院にありますが、
これは紀元前10世紀の中頃から前七世紀の終わり頃に掛けて
栄えたアッシリア帝国(イラク)にあったハープ(竪琴)によく似ていることからも、
遠い国との結びつきが考えられますね。


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