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元禄文化とは?

今回は元禄文化について、日本の歴史を紹介します。


元禄文化とは?


町人の文化


武士は、農民や町人の上に立つ
高い身分にありましたが
次第に町人の力が強くっていきました。

それは、町人が商品を売ってお金を儲け
金持ちになったからです。

それに比べて武士は、仕えている大名から
いつも決まった俸禄を貰っているだけでしたから
金持ちにはなれませんでした。

それどころか、だんだん
貧乏になる武士も出てきました。

町人の力が強くなると
町人を主とした庶民の
文化が生量れてきました。

それは、昔の貴族や武士の文化とは
すっかり違ったものでした。

このような文化が栄えたのは
綱吉が将軍のときの元禄時代で
江戸時代でも、特に平和な時期でした。

豊かな町人は
それまで禁じられていた
絹の着物を着始め
女の人たちは、元禄袖の着物に
美ししい模様の帯を絞めるようになりました。

文学と演劇


この時代には、俳諧や俳句(発句ともいう)が
盛んに作られるようになりました。

俳諧は、室町時代に栄えた連歌から生まれ
俳句はその俳諧から生まれたものです。

もともと遊び半分の内容を持っていましたが
松尾芭蕉が、真面目で立派な
文学に仕上げました。

芭蕉は、もと武士でしたが
半生を旅で過ごし
弟子には大勢の町人や地方の金持ちがいました。

特に宝井其角や向井去来など
10人の弟子が有名でした。

俳諧を作っていた井原西鶴は
浮世草子という
今の小説に近い物語を書きました。


町人が、慎ましい暮らしをして
次第に、金持ちになることや
世の中を思うままに楽しんで暮らす話などを
優れた文章で書いています。

また、この頃、人形を使って
三味線に合わせて語る
人形浄瑠璃や、人形の代わりに
役者がやるようになった歌舞伎が
盛んになってきました。

その台本の作者に
近松門左衛門や竹本義太夫などが現れ
芝居を立派なものにしました。

特に近松は、封建制度の世の中で
悲しみ、苦しんでいる民衆の姿を
芝居の中で、活き活きと描きました。
役者では、江戸の初代市川団十郎や
京都の坂田藤十郎などが人気を集めました。

上方文化


元禄のころ活躍した文学者や役者は
主に上方(関西)の人たちでした。

このことからもわかるように
文化の中心は、まだ京都や
大坂のほうにあったので
これを上方文化と呼んでいます。

工芸と美術


江戸時代になると
肥前(佐賀県・長崎県の一部)の
有田と伊万里や、京都などで
陶器作りが、盛んになりました。

有田の浦井田柿右衛門が
陶器に美しい色を着けるために
非常に苦心をした話は、まことに有名です。

京都の尾形乾山や野々村仁清は
陶器の表面に金に銀を塗り
蒔絵のような美しさを出しました。

蒔絵というのは、漆塗りの箱や盆などに
金や銀の粉で描く絵のことです。

本阿弥光悦や尾形光琳などが
優れた蒔絵の作者でした。

これらの美術品の中には
桃山文化の華やかな美しさが残って
浮世絵は、元禄の頃、派手な色を使って
美人な役者などを描いたのが
初まりと言われます。

初めは、一枚一枚筆で描きましたが
後には、版木に掘って何枚も紙に刷り
安く売り出すようになったのです。

このように、世の中が華やかになりましたが
武士に抑え付けられていた町人は
設けたお金で、贅沢をするよりほかに
楽しみが無かったのでしよう。

しかし、一方で、新しい町人中心の
文化を作ったということは
やはり、それだけ時代が進んだことだと言えますね。


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