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江戸時代にも続く百姓一揆

今回は江戸時代にも続く百姓一揆について、日本の歴史を紹介します。


重い年貢


将軍家でも大名でも
財政が苦しくなってきましたので
税を重くしました。

また、領内の金持ちの商人や大地主から
御用金といって、金を借りました。

そして、借りても権力でもって
返さなくなりました。

農民や町人の多くは税が重くなったために
生きていくのがやっとでした。

そこときどき、飢饉がやってきました。
大風が吹いたり、長雨が降ったりして
米が採れない年には
すぐに食べ物に困って
たくさんの死人がでました。

特に、18世紀末の天野の大飢饉あと
19世紀中頃の天保の大飢饉は
何年も続いたので
各地でたくさんの死者がでました。

また天明三年には浅間山が大大爆発をして
溶岩を吹き出して
いくつかの村を埋めました。

このときの灰は関東一円に降り積もり
江戸でも、薄暗くなるくらいであった
といいますから
田畑の作物は大被害を受けました。


百姓一揆


重い税や、飢饉に苦しんだ百姓たちは
関税を安くしてもらおうとし
大名や代官に訴えでました。

そして、大名や代官が聞いてくれないと
鎌やクワをもって
大勢で城下に押し寄せました。

彼らは、武土たちと戦ったり
金貸しや、地主の家を壊したりしました。

これを百姓一揆といいます。

打ち壊し


百姓一投が主に農村で
行われたのに対して
江戸や大坂などの都会でも
貧民たちが騒ぎをおこしました。

彼らは、金持ちの家を壊して
米や着物を奪いました。

これを打ち壊しといいます。
このようなことが度々おきては
将軍や大名の権威も弱くなります。


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