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民主化へのあゆみとは?

今回は民主化へのあゆみについて、日本の歴史を紹介します。



民主化へのあゆみ


占領軍は、軍国主義と
それに結びついていたものを追放しながら
一方では、民主主義のための改革を
促していきました。

1945年(昭和20年)10月
総司令部は、ポツダム宣言にそって
憲法を改正するように指示しました。

そして基本的人権をしっかり守る
社会とするために婦人を解放すること
労働組合をつくることをすすめることと
学校教育を自由主義で行うようにすること
民衆の生活を脅かしてきたような
制度を廃止すること
日本の経済を民主化することなどを
幣原内閣に指示したのです。

これに従って
日本は新しい国づくりをはじめることになりました。

経済の改革


改革は、まず経済の面からはじめられました。
これまで日本の経済は
財閥といわれる特定の大資本家が
日本の産業の資本を独り占めしている
というかたよった姿でした。

これは民主主義_に背くばかりでなく
軍国主義の重要な原因ともなりました。

そこで、このような資本家が持っている
たくさんの株を整理させ
資本を独占させないようにしました。

これが財閥解体(1945年)と独占禁止法(1947年)です。
しかし、それは、徹底的に行われなかったので
その後、資本と生産の集中は
再びすすんでいきました。

つぎに、これまで日本の農村では
地主が広大な農地を持っていて
高い小作料で小作人を働かせてきました。

しかも全然その家の人が
農業に関係しないでいて
小作人にばかり作業をさせているという
大地主も多くいました。

それに反し、多くの小作人の暮らしは
みじめでした。

これでは、社会の民主化を妨げるのは当然なので
総司令部は、農地改革を促しました。




つまり、大地主の持っている
農地を解放して小作人にあてがい
たくさんの自作農ができるようにしたのです。

そして、はたらく農民の地位を
安定させようとしました。

1945年に第一次、1946年に第二次の
農地改革法が成立しました。

政治の改革


政治の上の改革では
まず「治安維持法」「治安警察法」など
言論・思想・結社に関する
取り締まりの法律が、廃止されました。

そして、軍部の力によって潰された政党が復活し
自由党・進歩党・日本祉会党が成立したほかに
日本共産党が、はじめて大っぴらに登場してきました。

また、総司令部は、働く人々の立場を守るために
労働組合をつくって活動することを奨励しました。

労働組合法は、1920年(大正9年)以来
たびたび議会で審議されてきましたが
成立せず、ついに1945年(昭和20年)にできたわけです。

この法律によって
公務員を含めた労働者は団結すること
団体で要求する行動をとることが許されました。

従って、デモやストライキの自由が
認められるようになったわけです。

そこで、労働組合が各地でぞくぞくつくられ
組合運動が活発に勧められるようになりました。

労働者のお祭りとしてのメーデーのデモ行進も
1946年から復活しました。

また、同じ年の5月19日には
戦後の苦しい食料事情に、30万の民衆が集まって
食料メーデーが開かれました。


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