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朝鮮への進出 四世紀頃の朝鮮、好太王の碑。任那の日本府とは?

今回は大和時代(古墳時代)の頃に朝鮮へ
進出したときの日本の歴史を紹介します。

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「大和時代に朝鮮への進出! 任那の日本府とは? 神功皇后ってどんな人?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/679

朝鮮への進出について紹介します。まずは4世紀頃の朝鮮ついてです。

四世紀以前の南朝鮮は楽浪郡(朝鮮の北部)を
主な根拠地とする中国の王朝の勢いに押されて
小さな国々にわかれていました。

一方、北朝鮮では一世紀頃から高句麗という国が
おこり次第に日本海側に勢いを伸ばしていきました。

そして、四世紀の初めにはその勢いは
南に伸びてとうとう楽浪郡を滅ぼしてしまったのです。

また同じ頃南朝鮮では百済と新羅という2つの国がおこり、
それまであった小さな国々をほとんど従えました。

こうして、四世紀の初めには
朝鮮は高句麗・百済・新羅の3つにの国にほぼまとめられました。

高句麗の勢いは楽浪郡を滅ぼした後も益々盛んでした。

ことに四世紀の終わり頃の好太王という国王のときは
たいへん領土を広げました。

西は満州の南の地方から、
東は日本海の沿岸にまで領土を広げ、
さらに海岸沿いに北へ勢いを伸ばしました。

高句麗の勢いは南朝鮮にも伸び百済に迫ってきたのです。

ところが南朝鮮にはすでに
ヤマトの勢いが入り込んでいました。

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