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聖徳太子と法隆寺 聖徳太子と仏教の関係

今回は聖徳太子と法隆寺について、日本の歴史を紹介します。

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「聖徳太子と法隆寺の関係とは? 仏教を信じて研究していたのはなぜ?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/687

六世紀に百済から仏像やお経が伝わって来てからも
最初の内は仏教は中々広まり難かったようです。

というのも仏教を信じるか信じないかで、
蘇我氏と物部氏の争いがあったり敏達天皇のように
仏教に熱心でない天皇がいたりしたからです。

しかし、585年には聖徳太子の父であり
仏教に熱心な用明天皇が位に就きました。

また587年には仏教に反対だった物部守屋が滅ぼされました。
そのためこの頃から仏教が非常な勢いで広まって行きました。
聖徳太子が摂政になったのは丁度こういうときでした。

聖徳太子は父の用明天皇と同じように
厚く仏教を信じ、また研究もしていました。

しかも太子は自分一人で
仏教を信じているだけでは満足しませんでした。

仏教の力を借りて社会の不安を沈め人々の心を和らげて
住みよい国土をつくりあげようと考えていたのです。

七世紀のはじめ太子は大和(奈良県)の斑鳩の地に法隆寺を建てました。
寺を建てたばかりでなく仏教の研究にも力を入れ
天皇にお経の話をしたり、三経義疏(さんぎょうぎしょ)という
お経のことを説明してそれを自分のものにしていたということがわかります。

仏教の平和を尊ぶ考えは摂政としての太子が最も大切にしたものでした。

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