So-net無料ブログ作成

飛鳥時代の大陸との関係 任那の滅亡。遣隋使の行き来

飛鳥時代の頃の日本は他国(大陸)と
どのような関係にあったのか、日本の歴史を紹介します。

「引っ越しました。新アドレスはhttps://wakariyasuku-rekishi.com/です。自動でジャンプします」


https://wakariyasuku-rekishi.com/








「飛鳥時代の大陸との関係とは? 任那の滅亡や遣隋使の行き来があった?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/689

5世紀にあらわれた五人のヤマトの大王(倭の五王)は
百済の後押しをして高句麗や新羅と戦いました。

しかし、百済の力が段々と衰えてきましたので、
その後押しをしていた日本の立場も段々苦しくなってきました。

倭の五王がしばしば中国に使いを遣わしたのは一つには、
中国の優れた文化を取り入れるためでしたが
もう一つには中国の皇帝から日本の立場を認めてもらって
朝鮮半島ににらみを効かせようと考えたからです。

ですから熱心に中国にお世辞を使っています。
けれどもそのくらいのことで高句麗や
新羅が大人しくなるはずはありませんでした。

やがて高句麗は百済の北の方を占領してしまいました。
百済は仕方なしに南隣りにある
任那の地方に領土を広げようとしました。

そして、日本に頼み込んで任那の四県を
わけてもらうことにしたのです。

ところがこれがもとで任那の人々は
日本を信用しなくなってしまいました。

その上、任那の日本府に遣わされていた
日本の役人たちも良くない人が多かったので
日本の信用は下がるばかりでした。

nice!(0)  トラックバック(0)  [編集]
共通テーマ:学問

nice! 0

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 日本の歴史をわかりやすく解説 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます