So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

中大兄皇子と中臣鎌足とは?

今回は中大兄皇子と中臣鎌足について、日本の歴史を紹介します。

「引っ越しました。新アドレスはhttps://wakariyasuku-rekishi.com/です。自動でジャンプします」


https://wakariyasuku-rekishi.com/








「中大兄皇子と中臣鎌足とは? 2人の出会いのきっかけとは?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/691

入鹿の振る舞いを見て、苦々しく思う人は少なくなかったのですが、
蘇我氏の力が強いのでうっかりしたことはできません。

舒明天皇の子どもの中大兄皇子も、蘇我氏に強い反感をもっていました。
また、豪族のうちでも、中臣鎌足のように、
蘇我氏を打ち倒そうと思っくいる人がいました。

鎌足は、中大兄皇子が若いながらもしっかりした人であると聞いて、
なんとか皇子に近づこうと狙っていました。

皇子にあって、自分の本心を打ち明け、
カをあわせて、蘇我氏をほろばそうと考えたからです。

たまたま、法興寺でけまりの会があり、
中大兄皇子も、これに出席していました。

けまりというのは、皮でつくったまりを地面におとさないように、
足でけるあそびです。

このけまりの会にでていた中大兄皇子はまりを蹴ったはずみに、
履いていた靴が抜けて飛んでしまいました。

鎌足は、すぐさま、そのくつを拾って、
うやうやしく皇子に捧げました。

これをきっかけに、ふたりは知りあいになり、
蘇我氏な倒す相談をするようになりました。


nice!(0)  トラックバック(0)  [編集]
共通テーマ:学問

nice! 0

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 日本の歴史をわかりやすく解説 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます