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裁判の歴史 大宝律令から貞永式目と家法。公事方御定書まで

今回は裁判の歴史について、日本の歴史を紹介します。

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律令の時代から武士の法律と江戸時代の法律をまず紹介します。

大昔は、神を怒らせることが罪とされました。
日本人は清潔を好み、汚れたものを嫌いましたから、
神も汚れを嫌うと考えました。

清らかなことがよいことであり、
汚れたことが悪いことだったのです。

人々の行いや自然の出来事によって、
汚れたことがおこると、神の怒りをなだめるために、
汚れを清めるお払いをしなければなりませんでした。

裁判でも、罪のあるなしや、言ったことが、
嘘か本当かな、神に見分けてもらうことになっていました。

こういう裁判のやりかたとして、くかだち(盟神探湯)がありました。

くかだち(盟神探湯)では、沸かした湯の中に小石な入れ、
手を入れてこれを取り出させ、火傷をしたものが裁判に負けるのです。

神は、正しい人には、火傷をさせない、と考えられていたのです。
やがて、七世紀の末頃、中国から律令が取り入れられました。

これはその頃としては、立派な法律です。

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