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裁判の歴史 江戸から明治

今回は前回に続いて裁判の歴史について、とくに江戸から明治の辺りの日本の歴史を紹介します。

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「江戸時代から明治時代の裁判の歴史とは? 法律制度の導入?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/699

犯罪者を教え、しこむため、松川定信は
1791年(寛政三年)に、江戸(東京)の
佃島に人足寄場というものを作りました。

ここでは、刑を終わっても帰る先のない者などを集めて働かせました。

借金をはじめ、日常の揉め事とは、当人同士で相談して片付け、
できるだけ役所に世話を焼かせないようにしました。

そのため、訴えでても中々奉行所で取り上げてくれません。

また、裁判が始まっても、役人は、両方とも譲りあって、
早く争いを止めるようにと勧めました。

弁護士はいませんでんしたが、裁判のために遠くから出てきた人々を
止める宿屋があり、そこの主人や番頭が法触りことを教えたり、
一緒に奉行所にいってやったりなどしました。

これを公事宿といいます。
女子の地位は低く、夫は離縁状さえ書いて渡せば
妻と別れることができました。

最も女子もあま寺に逃げこみ足掛け三年、
寺にいれば夫婦の縁を切ることができました。

これを縁切り寺といい、東慶寺(鎌倉)と
満徳寺(群馬県新田)が縁切り寺とされました。

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