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奈良時代の農民の暮らし 条里制と重い租税

今回は奈良時代の農民の暮らしについて、日本の歴史を紹介します。

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「奈良時代の農民の暮らしとは? 条里制と重い租税とは?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/704

当時の日本では、全人口の内ほとんどが農民でした。
町らしい賑やかなところは、奈良の都しかなく、
そこに住む貴族・僧・商人・職人は農民に比べ、ごくわずかでした。

条里制は、農民に口分田を与えるための基準となるもので、
土地の区分の仕方です。

土地は、一条・二条というたての区分と、一里・二里という横の区分とで、
一辺が約522メートルの正方形(一里という)を幾つかつくります。

その正方形を、縦横それぞれ約87メートルずつに六等分します。
87メートル四方の土地を一坪と呼び、
一坪は一町歩(いまの約0.76へクタール) の面積があります。

一里は、約27.25へタタールで、36坪あります。
条里制によって、村や田の位置は正確に決められるようになりました。

現在残っている一番古い条里の地図(田図)は、
香川県の弘福寺の領地を測った地図で、
735年(天平七年)につくられたものです。

条里制は、たぶん七世紀の末頃には、始まっていたでしょう。

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