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みちのくのエゾ(蝦夷)とは? 坂上田村麻呂とは?

今回はみちのくのエゾ(蝦夷)に初まり、
坂上田村麻呂について、日本の歴史を紹介します。

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https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/718

この頃の都の人々は、東北地方のことを「みちのく」と呼びました。
「道の奥」という意味です。

この言葉からも、都の人たちが東北地方を
非常に遠い所と思っていたことがわかります。

この東北地方には、エゾ(蝦夷)が住んでいました。
大和朝廷が日本を統一する頃には、
エゾは中部地方の辺りにも住んでいましたが
だんだん大和朝廷に押されて、
東北地方へ退いていったのです。

しかし、その勢いは中々強く、朝廷の政治も八世紀になって、
ようやく今の秋田県・宮城県あたりまで行き届くという有様でした。

しかも、エゾ(蝦夷)の住む土地との境には、城や柵をつくって、
エゾ(蝦夷)の攻めてくるのを防ぎながらこの地方を治めていました。

仙台市の近くに多賀城や、秋田市の近くに
秋田城がつくられたのも、この頃のことです。

しかし、奥地へ追いやられたエゾ(蝦夷)は、
ときどき城や柵へ、攻めこみました。

奈良時代の末の光仁天皇のときには、
エゾ(蝦夷)のために将軍が殺され多賀城を占領されたほどでした。
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