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保元の乱とは?

今回は保元の乱について、日本の歴史を紹介します。

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「保元の乱とは? 貴族に代わって武士がの勢いが強まる!」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/735

白川上皇が、院政を行っていた頃から、皇室の内では、
天皇の位を巡って、争いが激しくなりました。

この争いに、藤原氏の内輪もめが結びつき、
そのために京都では、今にも戦が、
持ち上がりそうになっていました。

崇徳上皇は、父の鳥羽法皇に天皇の位を
近衛天皇に譲らされましたが、
近衛天皇が若死にしたので、上皇は自分の子を
天皇にしたいと思っていました。

それなのに法皇は、上皇の弟の後白河天皇な位につけました。

そこで天皇と上皇との仲が悪くなりました。
また、藤原氏の中でも忠通と、その弟の頼長とが
摂政・関白の位を争っていました。

忠通は鳥羽法皇の力を借りて弟との争いに勝ち、
摂政・関白になりましたので、
頼長は法皇や忠通を恨んでいました。

そして自分と同じ気持ちの崇徳上皇と、親しくなりました。
内輪もめは、これだけではありません。
そのころ京都にいた武士の間でも、平忠正と、
その甥の清盛との間が、上手くいきませんでした。

また源為義と、その子義朝との仲も、あまりよくなかったのです。
このように、親子・兄弟・叔父甥の間に争いがあり、それが、縺れ合っていました。
そして、ついに保元の乱という大騒動がおこったのです。
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