都では、毎日のように、強盗や殺人がおこっていました。
このように、世の中が乱れても、貴族には、
これを抑える勇気も力もありません。
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貴族たちは、地方の武士をよび、自分たちの生命や財産を守らせようとしました。
武士もまた、貴族たちに仕えることを、名誉と考えました。
武士のことを「侍」とも言うのは、武士が貴族に、
さむらう(傍について奉仕するという意味)ことからでた言葉です。
平将門や平忠常のように、朝廷に手向かいするものが出てきても、
これを鎮めるためには、武士の力に頼らなければなりませんでした。
1051年(永承六年) 東北地方の豪族である安倍氏が、反乱をおこしました。
安倍氏はエゾ(蝦夷)の州長でしたが、十世紀頃には、
今の岩手県のほとんど全部を支配するようになりました。
そして、国司の命令に従わず、租税も納めないようになりました。
そこで、陸奥国(青人森県・岩手県・宮城県・福島県)の国司が、
数千の兵を率いて、攻めましたが、かえって負けてしまいました。
朝廷では、源頼信の子の頼義を将軍にして、安倍氏を討たせることになりました。
頼義の強いことを知っていた安倍氏は、たちまち、降参しました。
ところが、頼義が京都へ帰ろうとしたとき、ちょっとしたことから、
頼義と安倍氏が、再び戦いを始めました。