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平治の乱とは?

今回は平治の乱について、日本の歴史を紹介します。

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「平治の乱とは? 平氏と源氏のどちらが勝ったの?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/736

保元の乱によって、朝廷や貴族の間のごたごたが、
無くなったわけではありません。
今度は保元の乱に手柄のあった武士の頭、
源義朝と千清盛とが勢力争いを始めました。

平清盛は、後白河天皇と親しくなり、おいおい高い位につけられました。
ところが源義朝は、保元の乱には、一番手柄を立てたのに、
その褒美や位が、清盛よりも悪かったのです。

そのために義朝は、非常に不満でした。

やがて後白河天皇は、位を二条天皇に譲って上皇となりました。
その頃、上皇のお気にいりの貴族であった藤原信西と、
藤原信頼とが勢力を争っていました。

藤原信西は、非常な学者で、朝廷の儀式などにも詳しい人でした。
この藤原信西が、平清盛と親しく、藤原信頼が源義朝と手を結びました。
そして藤原信西と信頼は、互いに相手の隙を狙っていたのです。

保元の乱から三年経った1159年(平治元年)12月に、
平清盛は、紀伊国(和歌山県)にある熊野神社へお参りに行きました。

熊野神仲社は、那智山と本宮と新宮との三山にわかれており、
このころ皇室や貴族の間では、盛んに信仰されていました。

清盛も、それに習って、お参りしたのです。
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