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源平の戦いとは? 源頼政と源頼朝とは?

今回は源平の戦いについて、源頼政と源頼朝を中心に、日本の歴史を紹介します。

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「源平の戦いとは? 源頼政と源頼朝ってどんな人?」の記事はこちらから>>

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源頼政は源頼光の子系です。
年をとってから三位にのぼりましたので源三位頼政といいました。

保元の乱のときには、平清盛らとともに崇徳上皇の軍を破りました。
その後、しばらく清盛と親しくしていましたが、人々が平氏に背くようになったのを見て、
今こそ平氏を討つべきだと決心しました。

源頼政は、後白河法皇の皇子以仁王から、平氏を滅ぼせという命令を貰いました。
この命令は、全国に散らばっている源氏に伝えられました。
さらに源頼政は、延暦寺や興福寺などの僧兵と相談し
宇治の平等院にこもって戦いました。

しかし、戦は頼政に不利でした。
平氏の大軍に破られ、ついに以仁王も源頼政も戦死しました。



しかし、この戦をきっかけとして、源氏の武士は各地で立ち上がり
平氏と戦い初めました。
そこで清盛は、1180年(治承四年6月、都を摂津の福原(神戸市)に移しました。
しかし、急に移ったために、皇居の準備も出来ていなかったので、
貴族たちは、福原の都を嫌いました。

貴族たちの気持ちをなだめるため、清盛は、また同じ年の11月に都を京都へかえしました。
人々は、いよいよ不平を言うようになりました。
おまけに、飢饉や悪い病気さえ流行しました。
世の中の動きは、ますます平氏に不利になっていくばかりでした。

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