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源平の戦いとは? 木曽義仲とは?

今回は木曽義仲について、日本の歴史を紹介します。

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「源平の戦いとは? 木曽義仲ってどんな人?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/739

頼朝のいとこにあたる義仲は木曽の山奥で育ち、
木曽義仲とも呼ばれました。

平氏を滅ぼせという以仁王の命令を受けて立ち上がり
信濃国(長野県)から越後国(新潟県)にすすみました。

それから平維盛の大軍を越中国(富山県)の礪波さんで打ち破りました。
義仲は、このとき、たくさんの牛の角に松明をつけ
敵の陣地へ追い込み、そのために平氏の軍勢は
驚き慌てて逃げ出したということです。

このようにして、義仲は、近江国(滋賀県)にすすみ
延暦寺の僧兵と手を結んで京都へ攻め上りました。

義仲が京都に近づくと、平氏は清盛の子、宗盛以下安徳天皇をつれて
西国へ逃げ出しました。

文平氏と仲の悪かった後白河法皇は、そのまま京都に残りました。
やがて義仲の軍が、京源都に入りました。

しかし都の貴族たちは、田舎育ちの義仲を馬鹿にしました。
そのうえ義仲の軍が、都でいろいろ乱暴な振る舞いをしたので、
都の人々に、嫌われるようになりました。

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