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源頼朝と源義経の関係とは?

今回は源頼朝と源義経の関係について、日本の歴史を紹介します。

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「源頼朝と源義経の関係とは? 勧進帳とは?」の記事はこちらから>>

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1184年(元暦元年)、後白河法皇は義朝に断らないで、
左衛門尉検非違使という役につけました。

その後、壇ノ浦で平氏を滅ぼした源義経は、
輝かしい凱旋将軍として京都へ帰ってきました。

頼朝は、義経の名声が高まっていくのを快く思いませんでした。
そのうえ、義経が平時忠の娘を妻にしたことも、
頼朝に疑いの目で見られる原因となりました。

義経は頼朝の怒りを解こうと、鎌倉の近くの腰越(鎌倉市腰越)までいって
手紙を頼朝のもとへ送りました。

しかし、頼朝は義経が鎌倉へ入ることさえ許さなかったので
義経はしかたなく京都へ引き返しました。

頼朝は土佐坊昇俊という者を、京都へ遣わして、義経を殺そうとしました。
そこで義経はついに心を決め、後白河法皇から頼朝を滅ぼせという命令を
出してもらいました。

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