今回は源氏が滅びたころの日本の歴史を紹介します。
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1198年(建久九年)の暮れ、御家人のひとり、
稲毛重成が相模川(神奈川県)に橋をかけ
その落成式が行われました。
その式に出席した頼朝は、帰り道で馬から落ち、
それがもとで、あくる年の1199年(正治元年)、53才で亡くなりました。
頼朝に続いて長男の頼家が将軍になりました。
しかし、そのとき、頼家は18才の若者でしたので
たくさんの御家人たちを率いる、充分な力がありません。
北条時政と政子のカ強くなったのは、このときからでした。
政子は頼家の母で、時政の娘です。
頼朝が死んだ後、政子は政治の上に大きな力を持つようになりました。
頼家が将軍となって3日も経たない内に、政子は頼家の手から裁判権を奪い
北条時政たち12名の重臣が集まって相談する仕組みに移してしまいました。
これに対し頼家は、黙って引っこんではいませんでした。
自分の気に入った者を身近において、思う通りに政治を執ろうしました。