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貞永式目・御成敗式目とは?

今回は貞永式目・御成敗式目について、日本の歴史を紹介します。

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「貞永式目・御成敗式目とは? 鉢の木物語とは?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/746

義時が死ぬと、その子どもの泰時が執権になりました。
まもなく、政子が死に大江広元も死にました。

泰時は日本の政治を動かしていくだけの
力を充分もっているという自信がありました。
泰時は新しいしっかりした政治の仕組みを次々と作りました。

泰時は、十数名の武士が集まり、相談して裁判や政治をするという
合議政治を行いました。これに参加した人を評定衆といいます。

また泰時は、武士の法律を作らねばならないと考えました。
それまでの法律は500年ほど前にできた法律しかなく、
武士の世に合いませんでした。

1232年(貞永元年)武士にとっての
最初の法律である貞永式目が出来上がりました。
泰時が執権になってから9年目のことです。

貞永式目は51か条からなり、御成敗式目ともいいます。
これは後の室町幕府にも重んじられ
戦国時代の大名の法律にも大きな影響を与えました。
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