So-net無料ブログ作成

元との戦い 文永・弘安の役とは?

今回は元との戦い、文永・弘安の役について日本の歴史を紹介します。
「引っ越しました。新アドレスはhttps://wakariyasuku-rekishi.com/です。自動でジャンプします」


https://wakariyasuku-rekishi.com/








「元との戦いとは? 文永・弘安の役とは?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/756

一三世紀の初め頃、中国の北方のモンゴル高原に住んでいた
モンゴル族からテムジンという英雄があらわれました。

彼はモンゴル地方を統一し、チンギスハン(ジンギスカン)と名乗りました。
チンギスハンは強大な武力を持ち、その勢いを、どんどん広げていきました。

そして、20年ほどの間に東は満州から、西は中央アジア、
南ロシアにまで領土を広げました。

チンギスハンの死後も、モソゴルは勢力を伸ばし
西南アジア・東ヨーロッパへも進出しました。

1260年、チンギスハンの孫クビライが位につき、
都をモンゴルのカラコルムから、燕京(北京)に移しました。

そして1271年、国の名な元とあらためました。
クビライは、中国の宋を攻め滅ぼして
ついに中国全土なその手に治めました。

ユーラシア大陸の東西にまたがる広大な元帝国がここに出来上がったのです。
燕京にはヨーロッパ人がたくさんやってきて、たいへん賑わいました。

イタリアのマルコ=ポーロもその1人です。
元の国では貿易が盛んに行われて、都市も栄え南京や松江(上海)などは
人口100万に近い大都会になりました。


元は日本を従えようとして、1268年(文永五年)日本に使いを送ってきました。
当時の鎌倉幕府の執権は北条時宗でした。

時宗はまだ18才の若さでしたが、元の使いを追い返し返事を出しませんでした。
そして、幕府は元の来襲に備えて、筑前・筑後(福岡県) や
瀬戸内海に面した国々に、厳しい警戒をするよう命じました。

nice!(0)  トラックバック(0)  [編集]
共通テーマ:学問

nice! 0

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 日本の歴史をわかりやすく解説 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます