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正中の変・元弘の変とは?

今回は鎌倉幕府が滅びたころの日本の歴史について紹介します。

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「正中の変とは? 元弘の変とは? 鎌倉幕府が滅びるまでの流れとは?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/759

鎌倉幕府は、元冠の後、次第に衰えてきました。
そして、源頼朝が幕府を開いてから約150年で
ついに後醍醐天皇に味方して立ち上がった
武士たちのために滅ぼされてしまいました。

鎌倉幕府が出来て、武士が政治を行うようになったことは、
皇室や貴族たちには、非常に不満なことでした。

後鳥羽上皇が、幕府を倒そうとして失敗した承久の乱も、その不満の表れです。
承久の乱の後、しばらくの間、朝廷の勢いは奮いませんでした。

後醍醐天皇は、14世紀の初めに位につきました。
天皇は、働きのある貴族たちを、家柄に関係なく重く用い政治に力を入れました。
そして、幕府が天皇の後継のことにまで口出しするのを怒り
しかも幕府が衰えていると見て、幕府を倒す決心をしました。

天皇は、日野資朝・日野俊基らと相談し1324年(正中元年)幕府を倒そうとしました。
しかし、この謀は幕府に気付かれてて失敗し資朝は佐渡に流されてしまいました。

これを正中の変といいます。

幕府を倒す第一回の計画は、このように失敗しましたけれども
天皇はそれに挫けず、それから7年後に、また幕府を倒す計画を立てました。

しかし、この計画もまた、幕府に知られてしまったのです。
天皇は笠置山(京都府)に逃げましたが、幕府の軍に捕まえられ隠岐(島根県)に流されました。
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