So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

建武の新政とは? 中先代の乱とは?

今回は建武の新政について、日本の歴史を紹介します。

「引っ越しました。新アドレスはhttps://wakariyasuku-rekishi.com/です。自動でジャンプします」


https://wakariyasuku-rekishi.com/








「建武の新政とは? 中先代の乱とは? 足利尊氏と新田義貞との競い合い!」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/760

後醍醐天皇はまもなく京都に帰り公家(貴族)と武家とを一つにまとめて
新しい意気込みで天皇中心の政治を行おうとしました。
次の年、年号を建武と改めたので、この新しい政治を建武の新政といいます。

後隠醐天皇は、摂政や関白をおかず、自ら政治を行おうとしました。
そのため、記録所と雑訴決断所・恩賞方という役所を設けました。

記録所は一般の政治を扱うところ
雑訴決断所は、主に土地についての訴えを裁判するところ
また恩賞方は人々の手柄を調べ
どのような褒美を与えたらよいかを決めるところです。

これらの役所の役人には、公家も武家も同じように用いました。
また、京都を守る武者所の長官には新田義貞が
征夷大将軍には護良親王がなりました。

地方の国々には、国司と守護の両方をおき
これまでと同じように地頭もおきました。

そして、手柄のあった人々には褒美として、これらの役を与えました。
また、関東や東北地方には特に力を入れ、
後醍醐天皇の皇子と一緒に、関東には尊氏の弟足利直義を
東北には北畠親房の子の顕家をつかわして治めさせました。

nice!(1)  トラックバック(0)  [編集]
共通テーマ:学問

nice! 1

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 日本の歴史をわかりやすく解説 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます