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キリシタン大名と少年使節

今回は安土・桃山時代の人々の楽しみについて、日本の歴史を紹介します。

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「キリシタン大名とは?大友・有馬・大村の三大名とは?」の記事はこちらから>>

https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/804

ザビエルが1551年(天文20年)に日本を去った後も
優れた宣教師が次々とやってきました。

この結果、九州から近畿地方にかけて
たくさんの信者ができ、信長の時代には
信者の数は10万人から15万人にも増えました。

そして、大名の中にも
洗礼(キリスト教徒になるための儀式)を受けて
熱心な信者になるものがあらわれました。

例えば、大友義鎮・小西行長・大村純忠
有馬晴信・高山右近などがそれで
彼らをキリシタン大名と言います。

1582年(天正10年)、キリシタン大名の中でも
とくに熱心な大友・有馬・大村の三大名は
少年使節を遥々ローマに送りました。

これは、巡察使(キリスト教を広める方法を考えたり
研究したりする役目)として来日していた
イタリア人バリニアノの計画によるものです。

ヨーロッパの進んだ有様を日本人に
直に見せるとともに、ヨーロッパ人には
本当の日本人を見せて
日本はキリスト教を広める値打ちのある国だ
ということを分かってもらおうとしたのです。



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