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江戸時代 国学と洋学とは?

今回は江戸時代の国学と洋学について、日本の歴史を紹介します。

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国学とは?


江戸時代のはじめ、学問といえば
主に中国から伝わった儒学のことでした。

漢文を学んで
中国の歴史や文章を
研究していたのでした。

ところが、一七世紀の半ば過ぎから
日本の歴史や文学を研究する
学問が盛んになってきました。

それを国学といいます。

契沖という僧は江戸時代前期の人ですが
「万葉集」の研究をして
「万葉代匠記」という本を出しました。

一八世紀になると荷田春満
賀茂真淵などの学者があらわれて
多いに国学を学び、広めました。

伏見稲荷神社の神主であった荷田春満は
古典の研究につとめ
国学を研究する学校をつくるように
幕府に意見書を出しました。

春満の弟子の賀茂真淵も
浜松の神主の家に生まれた人で
「万葉集」や「古事記」の研究に励みました。

真淵の弟子、本居宣長も
優れた学者です。

宣長は伊勢松坂(三重県)の
木綿問屋に生まれましたが
京都へ行って医学を学び
町へ帰ってから医者となりました。

その傍ら、「源氏物語」や
「古今集」の研究をしていましたが
真淵が松坂へ来たとき
その門人になって「古事記」の
研究をはじめました。

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