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伊能忠敬と間宮林蔵とは? フェートン号事件とは?

今回は伊能忠敬と間宮林蔵とは?
フェートン号事件について、日本の歴史を紹介します。

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「伊能忠敬と間宮林蔵とは? フェートン号事件・モリソン号事件とは?」の記事はこちらから>>

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伊能忠敬と間宮林蔵とは?


ラックスマンが帰ったあと
幕府は、北海道方面を
よく調べておかなくては
ならないことを知りました。

そこで、1798年(寛政10年)
近藤重蔵という役人が
エトロフを探検に行き
そこに、「大日本恵登呂府」という柱を立てました。

また、伊能忠敬という地理学者も
1800年(寛政21年)
幕府の命令を受けてエゾ地(北海道)を測量し
地図をつくりました。

以後1812年(文化九年)までかかって
全国の沿岸を測量し
日本全国の地図をつくりあげました。

この地図は、当時のものとしては
非常に正確なものです。

また、間宮林蔵も探検家として有名です。
常陸(茨城県)の農民の出身ですが
測量が好きで、やがて幕府の
下級役人に取立てられました。

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