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自由民権運動の衰えたのはいつ頃? 保安条例とは

今回は自由民権運動の衰えたのはいつ頃?
保安条例について、日本の歴史を紹介します。

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自由民権運動の衰え


政府の取り締まりが厳しくなったために
自由党の活動は、たいへん窮屈になりました。

そうなると、総理の板垣をはじめ党の幹部は
このうえ自由党を続けていく意気ごみを
失ってしまいました。

そのために、普通の党員や
地方の党員たちと幹部との意見が
あわなくなりました。

1884年(明治17年)10月
大阪で開かれた自由党大会で
板垣総理は自由党を解散することを
明らかにしました。

同じ年の12月には
改進党でも大隈重信らが
党から抜けてしまったために
党の中心を失いました。

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